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Padangの思い出 [Indonesia]

今回はPadangパダンに行く。

2017年5月6日の日帰り旅行だ。



パダンはスマトラ島の西側の中央付近だ。そのまま東に行くとシンガポールに行けそうな位置だ。パダンという地名は以前、シンガポールに住んでいた頃から知っていて、行ってみたかった場所だ。
シンガポールでNasi Padangナシ・パダンという料理があった。マレー系シンガポール人が好んで食べるもので、簡単にいうと、カレーだ。
Nasiはご飯という意味なので、パダン飯という意味だが、シンガポールだと、そういう料理の名称になっていた。パダンとは何だろうかと思っていた矢先に、地図でパダンという地名を見つけたので、ナシ・パダンはパダン名物の料理だと思っていた。
しかし、インドネシアに住んでみると、Nasi Padangという料理は特になかったように思う。何人かに尋ねても、パダン地方の料理といえば、辛い肉料理で、それもヤギやウシを余すことなく料理するのが特徴だという説明を受けるばかりだった。
マレーシアとインドネシアは距離は近いのに文化的には仲が悪いらしい。
例えば、バティックというろうけつ染の技術も、マレーシア人起源説とインドネシア人起源説と両方あるらしい。こちらからするとマレー語もインドネシア語も大差ないので、へぇ〜としか言いようがない。
マレー語とインドネシア語は、違うといえば違うが、「ありがとう」はどちらも「テリマカシ」、そのほかの言葉も多少イントネーションが違うとはいえ、「ありがとう」と「おおきに」のような方言と比べたら、差が小さいと思う。
とは言うものの、方言というのは、どの国にもあるもので、インドネシアは日本より大きい国なので、日本よりたくさん方言はあり、方言で話されると、その方言を知らない人は話せないらしい。
どういうことかというと、マレー語やインドネシア語は両国の政府が定めた国語(標準語)であり、中国の普通語やフィリピンのタガログ語と同じ意味と言えると思う。





午前の遅めのフライトで、出発したので、正午ごろの到着だ。
他の地方へ行くと、海の色が山から流れてきた土で茶色いのだが、白い砂のためか、住んだ青い色をしている。

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例によって、無計画で来たので、空港から街までの距離や街での目的地もない。
空港で地図を見ていると、街はかなり遠いようだ。取り敢えず、街に行くバスを探して乗る。
例によって、運賃を集めに来た車掌がどこで降りるか聞いてきた。だが、特に目的地はないので、「最後まで乗る」というと、「このバスは特に定まった終点はないので、どこへ行きたいか言ってほしい。それによって、ルートも変えるから。」と言うので、「特に行き先は決めていないので、行けるところまで乗せてほしい」というと、しぶしぶ了承してくれた。
ヤシの木のような南国っぽい樹木が多い風景が車窓を流れていくと、街中に入り、次々に乗客が降りていく。
マイクロバスに、5人程度だったので、ほどなく最後の一人となった。
「どうする?」と再び聞いてくるので、それまでに見つけていた博物館に行きたいと告げると、「反対方向だ。あの赤色のアンコットで行けるよ」と指差す。
アンコットというのは、ミニバンぐらいの大きさのマイクロバスで、乗ると危険とインドネシア人にも言われている乗り物だ。ルートが決まっていて、ルート上であれば、どこからでも乗れて、どこでも降りれて、料金は一定だ。
我々、日本人と話をするインドネシア人は、どうしても比較的生活が豊かな人が多く、アンコットは、どちらかというと「中の下」より下の人の乗り物なので、私に忠告する人たちは乗りなれないのと、そういう身分の人が乗るとスリやトラブルなどがよくあるのだろう。
でも、ここは背に腹は変えられない。それに、好奇心もある。
ほどなく、赤いミニバンがやってきた。彼らは空席があると、ゆっくり走り、沿道を歩く人に「乗らないか」と声をかけてくるのである。
そんな状態なので、車内は立っている人はいないが、席は一つだけ空いていて、そこに座るしかない。
車内はラジオは高らかになっているが、乗客に笑顔はない。他の客もお互いを牽制するような視線を送りあっている(ような気がした)。喋り声は子供が母親に話しかけているだけで、母親も話したがっていない。あとは、満席でご機嫌なのか、車掌と運転手が大声で世間話をしている。つか、この二人酔っ払ってる?すれ違うアンコット仲間の運転手はビール瓶を持った手で会釈を交わしたりする。
のどかといえば、のどかだ。

そろそろ近いはずなのだが、一向に近づいた気がしない。
車掌も「あんた、どこで降りるんだい」という視線を飛ばしてくるので、「博物館に行きたい」と自己申告すると、「それはどこだ?」といった顔になり、「このルート上にはない」と言う。
「この辺で降りた方が良い」と言うので、言われるがままに降りた。
モスクの前だし、危なくもないだろう。

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さて、ここから、どうするかだが、見ていると、Blue Birdという大手のタクシーが走っているのが目に入った。流しでは、なかなか来ないので、予約センターに電話して、タクシーに乗ると、そんなに遠くなく、目的の博物館にたどり着いた。

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上の写真を撮った位置から建物は、案外遠く、近くまで来たら、こんなに大きな建物だ。

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牛の角のように左右が天に向かって尖っているのが特徴だ。この様式はミナンカバウ族というこの地方の民族の建て方らしい。
この建物は、民族的な装飾にはなっているが、近代的な構造だが、実際にはこの大きなスケールで木造のものも過去にはあったのかもしれない。
もっと小型の住宅でもミナンカバウ族の建物は、牛の角のようになっている。実用的には妻面(建物を上から見たら長方形なので、その短辺)が入口になっている「妻入り」のものも多いが、権威を表現したい豪族の屋敷や宗教施設では長辺側に入り口を設ける「平入り」形式のものが多い。
木造建物の屋根はトンガリ屋根になるが、トンガリ屋根の斜め部分の部材に直線の木材を用いて骨組みが構成され、同じような骨組みを奥行き方向に平行に配置することによって、建物を長くできる。
トンガリ屋根が見える側から見たときの建物幅を大きくしようとすると、木材の長さの制約やトンガリ屋根の三角形の形から建物が高く、すなわち不安定(倒れやすい)になるので、限界がある。それに対して、奥行きを伸ばすのは比較的容易なので、トンガリ屋根が見えない方向の側面に入口を配置(平入り)としたほうが、来訪者に建物のスケールをアピールしやすい。
しかし、そうすると、幅の大きさのスケール感は感じやすくなるが、地面と屋根の線は平行となるため、見た目のパンチには欠ける。
そこで、平入りの場合は、横方向にもトンガリ屋根をつけることによって、建物の見栄えを引き立てる。
ミナンカバウの建物は主棟の両端に天に突き出ている角だけでもインパクトがあるのに、この建物は平入り面にも屋根があり、しかも完全対象の中央で、高さも高い。
対称形が美しい。

中の展示物が、大したことがないのには、既に慣れていたのだが、説明書きが詳しいのが印象的だった。

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そのうち、ゆっくり読みたいと思って撮った。そのうち。。。

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建物の形式も説明が丁寧にされている。
また、部族の系図についても解説されている。
どうやら、女系である。女性の側の線が下の方につながっていき、男性は外に結婚する、と表現されているようだ。
また、「離婚した出戻りの男は母親と住む」ということなのかな?

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ひと通り見終わると、裏口から外に出られて、裏にも3棟程度の建物があった。
建物ごとに、展示してあるテーマが異なり、たくさんの展示物があった。その中で衝撃的だったのが、スマトラ地震の傷跡を記録した写真が展示されている建物だった。
スマトラ地震といえば、2004年に発生したものが、有名(?)で記憶されている人が多いと思われる。
しかし、この展示は2009年に発生したものである。犠牲者の名前がぎっしりと壁面に書かれており、「この地震の記憶が消えないように」と銘打たれている。
当直なのだろうか、そのエリアだけは何人かの女性が受付や案内用の椅子に腰掛けていたが、いずれも色調が暗い衣服で、制服ではないのでボランティアだろうか、表情も弱々しい。ご遺族なのではないかと思うと、声をかけられないし、写真も撮れなかった。
2004年の大地震から復興して、新築された建物が倒壊したり、大変な犠牲があったことを示す写真ばかりだ。
ニュースで報じられる災害と、報じられない災害があるが、2009年のスマトラ大地震のニュースは、少なくとも日本や欧米のメディアでは大きくは取り上げられていない。
あまりにも展示物が多いので、ゆっくり回れなかったので、もう一度、ゆっくりと訪れたいと思っている。

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外に出ると、大きな松の木が木陰を作っていた。
空港へ急ぐ時間だ。
タクシーに乗り込み、空港へ向かう。

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町のシンボルとも言える巨大なモスクもミナンカバウ族の屋根をモチーフとしたデザインになっている近代的なものだ。降りている時間はないので、シャッターを切るだけだ。
空港に着くと、我慢していた昼食を取ることにした。

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スマトラの中部なので、レンダンを食べたいと思ったので、強引にレンダンを食べることにした。空港の食堂といえば、大したメニューはないのだが、レンダンがあるだけでも、やはりパダンの空港という証かなと思った。

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こうして、パダンの地を離れ、インド洋を旋回して、ジャワ島に戻った。
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